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高円寺に和民の初代料理長がやってる店があったんだけどコロナでとりきなった、復活しないのかな?

高円寺で「和民(わたみ)」の初代料理長(または初期の重要メンバー)が独立してやっていた店、という話だと、おそらく居食屋 橘内(たちばない) 高円寺北口店のことじゃないかなと思います。ワタミの創業は1984年に高円寺北口で「つぼ八」高円寺北口店からスタートしていて、そこがワタミグループの1号店です。創業者の渡邉美樹さんのブログや過去の投稿を見ると、ワタミ創業時に最初に応募してきた社員が橘内さんで、長年ワタミで働いた後、社内独立オーナー制度を使ってその1号店を自分の店としてオープンしたのが「橘内 高円寺北口店」です。2014年頃にオープンした記録があり、ワタミのフランチャイズ的な形で運営されていたようです。コロナ禍(2020年〜)で多くの飲食店が苦しんだのは事実で、特に居酒屋系は客足が激減して閉店・休業が相次ぎました。この店もその影響を受けた可能性が高いです。ただ、最新の情報(2026年現在)で調べてみた限り、明確に「閉店した」「復活した」という公式発表や最近の目撃情報は見つかりませんでした。

  • 食べログやGoogleマップなどで「橘内 高円寺」で検索しても、最近の口コミや営業情報がほとんど出てこない(古い情報ばかり)。
  • ワタミの公式資料や渡邉さんの発信でも、最近の言及がない。

なので、コロナで一旦閉店(または休業)して、そのまま復活していない可能性が高いと思います。復活の兆しは今のところ見えていないですね…。高円寺は飲食店の入れ替わりが激しい街なので、残念ながらそういうケースは少なくないです。もし店名が「橘内」じゃなくて別のお店だったら、もう少し詳しい情報(大まかな場所や料理の特徴など)教えてくれれば、もうちょっと深掘りできるかも! 復活を願いつつ、高円寺にはまだ美味しい店たくさんあるから、そっちも開拓してみては?

橘内さんのワタミ時代エピソード

橘内さん(おそらく橘内稔さん)は、ワタミの創業時から渡邉美樹さんの右腕的存在で、**ワタミの1号店(高円寺北口の「つぼ八」高円寺北口店)**に最初に応募してきた社員として有名です。渡邉美樹さんの公式ブログ(2014年の投稿)やFacebookのエピソードから、主なポイントをまとめるとこんな感じです:

  • ワタミ創業のきっかけになった人:1984年頃、渡邉さんが高円寺北口に1号店を出店した直後、店頭に貼った「アルバイト募集」の張り紙を見て、真っ先に連絡・応募してきたのが橘内さん。渡邉さん曰く「最初に応募してきたのが彼」で、そこからワタミの歴史が本格的に始まったと言えるくらい重要な存在。
  • 狭いマンションでの共同生活:創業初期、渡邉さんと橘内さんは狭いマンションで一緒に暮らしながら、毎日未来のワタミについて語り合っていたそうです。渡邉さんのFacebook投稿で「狭いマンションで一緒に暮らしながら未来を語り合っていた」と振り返られています。まさに創業メンバーの苦楽を共にしたエピソード。
  • 長年ワタミで活躍:アルバイトから入って正社員になり、ワタミの成長を支え続けた。渡邉さんの実名小説『青年社長』にも登場するくらいのキーパーソン。
  • 社内独立オーナー制度の第1号:ワタミが導入した「社員独立制度」(社内独立フランチャイズ)の最初の人。1997年頃に目白通店の「和民」を独立オーナーとして譲渡・運営開始し、以後多くの社員が続く「親分的な存在」になった。
  • 高円寺1号店を引き継ぎ独立:2014年に、ワタミ創業の地である高円寺北口の1号店を、社内独立制度を使って自分の店「居食屋 橘内 高円寺北口店」としてオープン。渡邉さんが激励に駆けつけた記録がブログにあり、「30年前の思い出がよみがえる」「お客様のありがとうが一番集まるお店であってほしい」とエールを送っています。

料理長というよりは、創業初期の超重要メンバー・実務リーダー的なポジションで、厨房も含めて店全体を支えていた印象です。渡邉さん自身が何度も「創業の火付け役」「オーナーたちの親分」と呼んでいるので、ワタミ初期の象徴的な人物ですね。残念ながら、最近の橘内さん個人のインタビューや詳細な昔話はあまり公開されておらず、主に渡邉さんの側からの回顧が中心です。コロナで店が厳しい状況になったのも、そういう長年のワタミ愛着がある人だからこそ、余計に惜しいですよね…。もしもっと具体的なエピソード知ってる人いたら、教えてほしいくらいです!

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