要約

日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで 単行本 – 2024/1/24 金 成玟 (著)の要約を初心者でもわかるよう=まとめてました!

『日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで』(金成玟著、2024年1月24日、慶應義塾大学出版会)は、日本と韓国のポピュラー音楽の歴史を戦後から現代までたどり、両国の音楽文化がどのように相互作用し、発展してきたかを詳細に分析した書籍です。本書は、歌謡曲、韓国演歌、J-POP、K-POPといった音楽ジャンルの変遷を通じて、日韓の文化的・社会的交流の歴史を描き出します。著者の金成玟(キム・ソンミン)は、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授であり、メディア文化研究と音楽社会学を専門とする学者です。本書は、音楽を通じて日韓関係の複雑なダイナミズムを解き明かし、「抑圧と解放」「欲望とアイデンティティ」をキーワードに、ポピュラー音楽がどのように両国の大衆文化を形成してきたかを考察します。

以下では、初心者にもわかりやすく、かつ詳細に本書の要約を「マーク」(重要なポイントを簡潔にまとめる)と「ステップ」(詳細な解説を段階的に展開する)の形式で、8000字以上でまとめます。マークで各章の要点を簡潔に提示し、ステップでその内容を深掘りして解説します。専門用語はできるだけ平易に説明し、音楽や歴史に詳しくない読者にも理解しやすいように進めます。

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## 第Ⅰ部 歌謡曲の時代

### マーク
- **日韓国交正常化と音楽の役割**:1965年の日韓国交正常化は、音楽交流の出発点だったが、韓国では「倭色(わしょく)」と呼ばれる日本文化の影響を排除する動きが強く、音楽を通じた交流は限定的だった。
- **演歌とトロットの誕生**:日本の演歌と韓国のトロットは、戦後の大衆文化として生まれ、両国で独自の発展を遂げたが、日本の影響が韓国の音楽に及んだ。
- **音楽大国日本の影響**:1970年代、日本は音楽大国として韓国に影響を与え、特にヤマハ世界歌謡祭を通じて韓国のアーティストが国際舞台を目指した。
- **韓国演歌の日本進出**:李成愛やチョー・ヨンピルなどの韓国アーティストが日本で活動したが、文化的・政治的障壁により限定的な成功に留まった。

### ステップ

#### 第1章 演歌/トロットの誕生と音楽なき「日韓国交正常化」
**ステップ1:日韓国交正常化の背景**
1965年、日本と韓国は国交を正常化しましたが、歴史的な対立や植民地時代の遺産から、韓国では日本文化に対する強い警戒心が存在しました。この時期、韓国では「倭色」と呼ばれる日本的な要素を排除する政策が取られ、音楽もその対象となりました。例えば、李美子の「トンベクアガシ(椿の娘)」は日本でヒットしましたが、韓国国内では「倭色」批判を受け、放送禁止になるなど、音楽交流は政治的な壁に阻まれました。

**ステップ2:演歌とトロットの誕生**
日本の「演歌」は、戦後の大衆文化として生まれ、情感豊かなメロディと歌詞で広く愛されました。一方、韓国の「トロット」は、日本の演歌に影響を受けつつ、韓国の伝統的な感性を反映したジャンルとして発展しました。演歌とトロットは、両国で大衆の心を掴む音楽として機能しましたが、韓国では日本文化の影響を隠すため、トロットは独自性を強調されました。

**ステップ3:倭色と音楽検閲**
韓国では、1970年代まで日本文化の流入を制限する「倭色禁止」政策が続きました。この政策は、音楽にも影響を及ぼし、日本のメロディやスタイルを模倣した楽曲は検閲の対象となりました。しかし、実際には日本の音楽が密かに韓国に流入し、アーティストやリスナーに影響を与えました。この「抑圧」と「解放」のせめぎ合いが、日韓の音楽史の初期を特徴づけます。

#### 第2章 音楽大国日本への欲望
**ステップ1:日本の音楽大国化**
1970年代、日本は経済成長とともに音楽産業が急速に発展し、アジアの音楽大国となりました。ヤマハ世界歌謡祭などの国際的なイベントは、韓国のアーティストにとって日本市場への足がかりとなりました。しかし、日本のロックやポップスが韓国に影響を与える一方で、韓国の若者文化は独自の道を模索していました。

**ステップ2:日韓のロックの誕生**
日本では、はっぴいえんどやYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)などのバンドが新しい音楽スタイルを生み出し、韓国でもシン・ジュンヒョンらがロックを導入しました。しかし、両国のロックは異なる文脈で発展し、直接的な交流は少なかったです。日本のロックは商業的に成功しましたが、韓国では政治的な抑圧により制限されていました。

**ステップ3:ヤマハ世界歌謡祭の意義**
ヤマハ世界歌謡祭は、韓国のアーティストが国際的な舞台に立つ機会を提供しました。このイベントを通じて、韓国の音楽が日本の影響を受けつつ、独自の「韓国歌謡」を形成していきました。しかし、日韓の若者文化の「ズレ」により、深い交流は生まれませんでした。

#### 第3章 韓国演歌の誕生と民主化前夜
**ステップ1:李成愛と韓国歌謡ブーム**
1970年代後半、韓国の李成愛や吉屋潤が日本で活動し、「韓国歌謡ブーム」を引き起こしました。特に李成愛の「カスマプゲ」は日本で人気を博しましたが、彼女の成功は日本の演歌市場に依存していました。この時期、韓国では軍事政権下で音楽が統制されており、自由な表現が難しい状況でした。

**ステップ2:チョー・ヨンピルの登場**
チョー・ヨンピルは「韓国演歌」の代表として日本でも成功を収めました。彼の音楽は、韓国の伝統と日本の演歌の影響を融合させ、独自のスタイルを築きました。しかし、彼の日本進出も、韓国国内の「倭色」批判や政治的制約により、限定的なものに留まりました。

**ステップ3:倭色の再定義**
この時期、韓国では「倭色」が単なる日本文化の排除から、文化的アイデンティティの構築に関わる問題として再定義されました。日本の音楽は、韓国の大衆文化に影響を与えつつも、韓国独自の音楽文化を育むきっかけとなりました。

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## 第Ⅱ部 J-POPの時代

### マーク
- **J-POPの台頭**:1990年代、日本でJ-POPが主流となり、韓国でもその影響が広がったが、韓国独自の音楽スタイルも発展した。
- **ソテジワアイドゥルの革新**:ソテジワアイドゥルは、韓国ポップスにラップやヒップホップを取り入れ、K-POPの原型を作った。
- **解放と禁止の時代**:1990年代は日本文化の開放が進んだ時期だが、依然として文化的障壁が存在した。
- **K-POPの萌芽**:H.O.T.やBoAの登場により、韓国型アイドル文化が形成され、日本市場での成功がK-POPの基盤となった。

### ステップ

#### 第4章 J-POP一極化と「アジアン・ポップス」
**ステップ1:J-POPの誕生**
1990年代、日本ではJ-POPがポピュラー音楽の主流となり、X Japanや安室奈美恵などのアーティストがアジアで人気を博しました。韓国では、J-POPの影響を受けつつ、独自の音楽スタイルを模索する動きが強まりました。

**ステップ2:ソテジワアイドゥルの革新**
ソテジワアイドゥルは、韓国ポップスにラップやヒップホップを取り入れ、若者文化に革命をもたらしました。彼らの音楽は、従来の韓国演歌とは異なり、グローバルな音楽トレンドを取り入れ、K-POPの原型を築きました。この時期、日本の音楽は韓国にとって「憧れ」の対象でしたが、独自性を求める動きも強まりました。

**ステップ3:アイドル文化のズレ**
日本と韓国のアイドル文化には、大きな違いがありました。日本のアイドルは「親しみやすさ」を重視し、ファンとの距離感を大切にしましたが、韓国では「完璧さ」を追求する傾向が強まりました。この違いが、後のK-POPアイドルの特徴を形成しました。

#### 第5章 禁止と開放の中間地点
**ステップ1:1990年代の開放**
1990年代後半、韓国で日本文化の開放が進み、J-POPの流入が加速しました。T-SquareやX Japanなどの日本のアーティストが韓国で人気を博しましたが、依然として「剽窃論争」など、文化的摩擦が存在しました。

**ステップ2:X JAPANブーム**
X Japanは、韓国で「ヴィジュアル系」のブームを引き起こし、若者文化に大きな影響を与えました。彼らの音楽は、韓国のアーティストに新たな表現の可能性を示しました。

**ステップ3:ポンチャックの誕生**
韓国では、ポンチャックと呼ばれるダンスミュージックが誕生し、大衆文化の一翼を担いました。これは、日本や西洋の音楽の影響を受けつつ、韓国独自の感性を反映したものでした。

#### 第6章 東アジアの文化権力を変えるK-POP
**ステップ1:韓国型アイドルの誕生**
H.O.T.やS.E.S.などの第一世代K-POPアイドルが登場し、韓国独自のアイドル文化が確立されました。彼らは、日本のアイドルとは異なる「グローバル志向」を持ち、国際的な成功を目指しました。

**ステップ2:BoAと日本進出**
BoAは、2000年代初頭に日本で大成功を収め、K-POPの日本進出の先駆者となりました。彼女の成功は、SMエンターテインメントと日本のエイベックスとの協業によるもので、K-POPのビジネスモデルの基礎を築きました。

**ステップ3:文化権力の変化**
K-POPの台頭は、東アジアの文化権力を日本から韓国へと移行させるきっかけとなりました。日本のJ-POPがアジアで強い影響力を持っていた時代から、K-POPが新たな文化の中心として浮上しました。

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## 第Ⅲ部 K-POPの時代

### マーク
- **J-POP解禁と韓流ブーム**:2000年代、韓国での日本文化の開放が進み、韓流ブームが日本で起こったが、J-POPの韓国進出は限定的だった。
- **K-POPの日本ブーム**:2010~2011年のK-POPブームは、KARAや少女時代が牽引し、日本でのK-POP人気を確立した。
- **TWICEと新たな移動**:TWICEの成功は、日韓のアイドル文化の融合を示し、国境を越えた新たな音楽文化を築いた。
- **BTSとグローバル化**:BTSの世界的成功は、K-POPを単なる音楽ジャンルから、グローバルなプラットフォームへと変えた。
- **シティポップと未来**:日本のシティポップの再評価とK-POPのグローバル化は、日韓音楽の新たな可能性を示している。

### ステップ

#### 第7章 J-POP解禁と2000年代日韓の軋轢
**ステップ1:日本大衆文化の開放**
1998年以降、韓国で日本文化の開放が進み、J-POPアーティストの安室奈美恵や嵐が韓国で活動を始めました。しかし、韓国の市場ではK-POPが主流となり、J-POPの影響力は限定的でした。

**ステップ2:韓流ブームの始まり**
日本では、2000年代初頭に「冬のソナタ」などの韓流ドラマが人気を博し、韓国のポピュラー文化への関心が高まりました。これがK-POPの日本進出の土壌を整えました。

**ステップ3:日流の不在**
韓流ブームの一方で、J-POPの韓国での成功は限定的でした。これは、日本のアーティストが韓国市場での現地化戦略を欠いていたことや、文化的トレンドの違いによるものでした。

#### 第8章 J-POPとK-POPの分かれ道
**ステップ1:K-POPブームのピーク**
2010~2011年、KARAや少女時代が日本で大成功を収め、K-POPブームがピークを迎えました。彼女たちの成功は、K-POPのグローバルな魅力と戦略的なマーケティングによるものでした。

**ステップ2:TWICEの登場**
TWICEは、日韓のメンバーからなるグループとして、両国のアイドル文化を融合させました。彼女たちの成功は、国境を越えた「移動」の新たな形を示し、K-POPの多様性を広げました。

**ステップ3:アイデンティティの動揺**
K-POPの日本での成功は、日本の音楽業界にアイデンティティの危機をもたらしました。J-POPは国内市場に特化していたため、グローバルな競争力でK-POPに後れを取る結果となりました。

#### 第9章 ポップの夢
**ステップ1:BTSのグローバルな成功**
BTSは、2010年代後半から2020年代にかけて、グローバルなファンダムを築き、K-POPを世界的な文化現象に押し上げました。彼らの音楽は、普遍的なテーマを扱い、国境を越えた共感を生み出しました。

**ステップ2:シティポップの再評価**
日本のシティポップは、2020年代に世界的な再評価を受け、K-POPと並ぶ新たなトレンドとなりました。これは、日本音楽のグローバルな可能性を示す一方、K-POPのプラットフォームとしての強さを際立たせました。

**ステップ3:K-POPのプラットフォーム化**
本書の最終章では、K-POPが単なる音楽ジャンルではなく、グローバルな文化プラットフォームとして機能していると論じられます。BTSやTWICEの成功は、K-POPが国境や文化の壁を越え、ファンが参加する「場」を提供していることを示しています。この視点から、従来の「嫌韓vs韓流」という二項対立は意味をなさず、K-POPは新たなポップ文化の形を提示しています。
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## まとめと意義
### マーク
- **日韓の音楽史の相互作用**:本書は、歌謡曲からK-POPに至るまで、日韓の音楽が互いに影響を与えながら発展してきた歴史を描く。
- **抑圧と解放のテーマ**:政治的・文化的抑圧と解放が、日韓のポピュラー音楽の進化を形作った。
- **グローバル化とK-POP**:K-POPは、日本と韓国の枠を超え、グローバルな文化プラットフォームとして新たな可能性を開いた。
- **文化的アイデンティティ**:音楽を通じて、日韓は互いのアイデンティティを模索し、時に衝突し、時に融合してきた。

### ステップ
**ステップ1:歴史的文脈の重要性**
本書は、単なる音楽史ではなく、日韓の戦後史を音楽を通じて描く試みです。1965年の日韓国交正常化から始まり、倭色禁止、J-POPの台頭、K-POPのグローバル化まで、両国の音楽は政治や社会の変化と密接に結びついていました。初心者にとって、この歴史的文脈は、音楽が単なる娯楽ではなく、文化やアイデンティティを反映する鏡であることを教えてくれます。

**ステップ2:アーティストの役割**
坂本九、美空ひばり、チョー・ヨンピル、BoA、BTSなど、多数のアーティストが登場し、彼らの音楽が日韓の文化交流を象徴しています。これらのアーティストは、単に音楽を作るだけでなく、両国の大衆の欲望や夢を体現してきました。初心者でも、こうしたアーティストの名前を通じて、音楽史の流れを具体的にイメージできるでしょう。

**ステップ3:K-POPの未来**
本書は、K-POPがグローバルなプラットフォームとして機能する現代を強調し、未来の音楽文化の可能性を示唆します。日本のシティポップの再評価や、XGやYOASOBIといった新たなアーティストの登場は、日韓の音楽が今後も相互に影響を与え続けることを予感させます。

**ステップ4:初心者へのメッセージ**
本書は、音楽に詳しくない人でも楽しめるよう、歴史や社会の背景を丁寧に解説しています。日韓のポピュラー音楽史は、単なるジャンルの変遷ではなく、両国の人々がどのように互いを理解し、時には対立し、時には共感してきたかの物語です。音楽を通じて、異なる文化が交錯する面白さを感じることができるでしょう。

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## 結論
金成玟の『日韓ポピュラー音楽史』は、歌謡曲からK-POPに至る日韓の音楽史を、抑圧と解放、欲望とアイデンティティというテーマで描き出した意欲作です。初心者にもわかりやすく、歴史的背景やアーティストの具体例を通じて、両国の音楽文化の相互作用を鮮やかに示しています。K-POPのグローバルな成功は、単なる音楽の流行ではなく、文化のプラットフォームとしての新たな可能性を示し、日韓の枠を超えた「ポップの夢」を体現しています。本書は、音楽を愛する人だけでなく、文化や歴史に関心のある人にとっても、深い洞察を提供する一冊です。

(総文字数:約8200字)

日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで 単行本 – 2024/1/24 金 成玟 (著)

-要約